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大切なひとへ・・

20080417004841
平成20年4月11日午後6時45分
母が息を引き取った、瞬間でした・・・。

昨年11月、彼女のご自慢の北海道に住む兄貴と、宮崎県の老人ホームで暮らす母親を訪ねて、旅行をした時は、まだ元気だった。
とても、元気だった。
ヘルパーの資格を取ったばかりの母は、張り切って婆ちゃんに逢いに行っていた。

帰岡後
家族全員集まって、焼き肉パーティーをした・・・
あれやこれや・・・・「食べなさい、食べなさい!!」と、せっせとみんなの世話をやく母がいた・・・

怪しげなキノコを、松茸だと言い張っていた、ちょっとオモシロイ母も健在だった・・・

年が明けて、お正月・・・
恒例の家族の集まりに、遅れて参加した母。
理由は、風邪気味・・・

孫達4人と、トランプや百人一首をして、楽しそうに笑っていたのは、今から想えば、かなり無理をしていたのか・・・

お昼、私と姉とで作った力作の海鮮丼は、お腹が空いていないと言って一口も食べなかった・・
大好物ばかりだったのに・・・

仕事は、夜勤の食堂。
人付き合いが苦手な母は、人が多い時間帯を嫌う。 カラダには、無理にムリを重ねて、過酷な深夜労働を続けてきた。

父は、仕事はしなくていいと、以前より何度も言っていたらしいが・・・
母は、自分で残せる蓄えを、私達の為に、稼ぎたかったのだとか・・・
働いて・・・働いて・・・

それでも、もうすぐ定年間近・・・退職の一歩手前で、これから、

ほんとうに、これから・・・という時だった。
なにもかも、音を立てて崩れてゆく、積み木の様に壊れていった。

父とは、今まであまり行けなかった、いろんな所へ、旅行に行くという、約束だけが残った。

2月下旬・・・リビングにて、うずくまり、泣いている母を父が発見。
辛抱強い母は、体調不良を隠していたらしい・・
それはやはり、年末あたりから始まっていた様だった。
しかも、病院嫌いで、頑固に検診などを断っていて受けていなかった・・・

人を頼る事も、全くしなかった・・・

でも、さすがに突然動けなくなり、自分ではどうすることも出来ず、死を予感して怖くて泣いていたのだと言う。
涙など、決して見せる人ではなかったけれど・・・

直ぐに近くの病院へ向かうが、緊急で救急車にて大学病院へ転院。

お腹に、水がたまっていた・・・

様々な検査をし、告げられた病名は

「卵巣癌」

しかもかなり末期のステージ4だった。
肝臓にも転移が見られ、それもまた大きな腫瘍だった。

父も、姉も、私も・・・
途方に暮れた。
けれど、そんな間にすら、病や治療は進行する・・

彼女にとっては、辛く長い闘病生活が始まった・・
思うように動かない体。寝たきり日々。
点滴漬けの毎日。
頻繁にある検査。
止まらない吐き気。
日に日に増すあちこちの痛み。
絶飲食。
病気に対する不安。
退院への不安。
残してきた家事の心配。
仕事の心配。
孤独感との闘い・・・・

・・・様々なストレスが、母を一気に襲った。

わたしは、姉と結束して、ほとんど毎日通えるだけ通った。
動かない体の負担をなくす為、マッサージをする。
足の裏が、堅くなるので、角質をとる。
不安を取り除く為に手を握り傍にいる。
出来るだけ前向きに、話をして、時には夢もみた・・

「はよう、いえかえろーやあ!!」

叶わぬ願いとなった。

亡くなる数日前に、筆談で、力を振り絞って書いた言葉は、
「みんなありがとう」
「おとうさん、ありがとう」
だった。
決して弱音ははかなかった・・・

最後は、家族全員でみおくることができた時、まだ姉も私もちいさくて、母は若く美しかった頃に・・・そして、父と仲むつまじく暮らしていたあの頃に・・一瞬タイムスリップしたかのように想えた。そこは、不思議な空間だった。

大切なあなたへ・・・

自分のカラダを、大切にしましょう・・
自分の親、兄弟を、大切にしましょう・・

カラダのことは知らないことを知らないままにせず、調べておきましょう・・・
何もないうちに、調べておきましょう。

いつまでも、若く健康ではないです。
病は恐ろしいです。
防げる病は、防ぎましょう。
ひとりだけの問題ではないです。
失ってからでは、どうしようもなかった・・・

人生を、愛するひとと共に、もっともっとたのしむ為に、健康をつとめましょう・・・

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2008/04/18 (Fri) | | 編集

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2008/04/21 (Mon) | | 編集

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